良くなり悪くなる

国連が Millennium Development Goals (MDGs) を掲げ「1990年を基準年、2015年を達成期限」としていろいろな人たちが頑張った。あまり知られてはいないが、MDGs は驚くほどうまくいった。1990年に開発途上国の半数に近い人口が一日1.25ドル以下で生活していたのが、2015年にはその割合が14%まで減少した。10億人以上の人々が極度の貧困から脱却したのだ。 栄養不良の人々の割合は激減。小学校の就学率は上昇し、教育における男女格差はなくなる方向に向かい、幼児死亡率は半分以下に減少した。出産は医療従事者の立会いの下に行われるようになり、妊産婦の死亡率は半減した。HIVへの新たな感染者は大きく減少し、620万人以上の人々がマラリアによる死を免れ、3,700万人もの人々が結核による死を免れた。26億人もの人たちが飲料水へのアクセスを得た。携帯電話の契約数は7億3,800万から70億とほぼ10倍まで増加し、インターネットの普及率は43%にまで増加し、32億人がグローバル・ネットワークとつながった。こういった変化を長々と書き連ねるのはやめておくが、開発途上国の人々の生活は大きく向上した。 Lester C. Thurow という経済学者が書いた『The Zero-Sum Society』という本がある。Thurow はかつて日本経済新聞のインタビューで「日本政府がすべきことはお札を刷り続けること」と言った人で毀誉褒貶は激しいが、『The Zero-Sum Society』には多少の真実が隠されている。 Zero-Sum という考えでは、トータルがゼロ、つまり誰かがプラスになれば誰かがマイナスになる。社会の誰にもいいということはなく、誰かを良くすれば、誰かに悪い。資源が限られているから、環境、食糧、エネルギーなど、経済・社会の問題はすべて Zero-Sum と考えられる。 1990年から2015年のあいだに10億人以上の人々が極度の貧困から脱却したということは、Zero-Sum で考えれば、どこかの生活が悪くなったということになる。それはバブルがはじけたあとの日本であり、共産体制が崩壊した旧ソ連の国々であり、ひとつにまとまりダイナミズムが失われたヨーロッパではなかったのか。 実際、国連の MDGs のおかげもあって、開発途上国の人々の生活が格段に良くなり、先進国の人々の生活が少し悪くなった。 MDGs は Sustainable Development Goals (SDGs) に引き継がれ、開発途上国は少しずつ良くなり、先進国は少しずつ悪くなっている。 開発途上国の人々の生活が相対的に良くなり、日本人の生活が相対的に悪くなる。そのことを良いとか悪いとか言えるだろうか。開発途上国の人たちも日本人も、より良い生活をしたいという基本は同じではないだろうか。 Zero-Sum ではない。Win-Win なのだ。開発途上国の人々の生活が良くなり、日本人の生活も良くなる。そういうことを言う人もいるだろう。でも、あの国が良くなり、この国が悪くなるというのが、現実ではないか。 良くなったあとには悪くなる。悪くなった後には良くなる。でも人は、良くなりたい。誰も悪くなりたくない。良い状態にある人はもっと良くなりたいと思い、悪い状態にある人はもうこれ以上悪くなりたくないと思う。みんなが良くなればいいのだけれど、みんなが他人より良くなるなんていうことはありえない。